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創造教育

社会福祉学科 2014年度 野村裕美ゼミ交流討論会 風間浦村フィールドワーク報告

 今年も総勢15名の学生とともに、青森県下北郡風間浦村への訪問を果たすことができました。受け入れに際しては事前、事後の全行程におきまして風間浦村役場の皆様、地域の施設機関の皆様にはご理解・ご協力をいただきましたことを心より御礼申し上げます。
 本年は、易国間地区の大祭の時期に訪問したおかげで、祭りへの参加を通して村の皆様との交流を果たすことができました。また、下北半島の北通りを風間浦村・佐井村とともに構成する大間町を訪問し、大間高校の皆様と交流することがかないました。2年間ゼミで取り組んできた事例教育法であるケースメソッド、対話的研修の手法の一つであるワールドカフェを実際に活用し、14名の本学学生と80名の高校生との交流を通した学びのセッション「みなさん、多目的トイレを知っていますか~多目的トイレを通して生活の多様性について考える~」をともに作り上げることができました。
 下北の人々との交流の中で、日頃関西で暮らす私たち、あるいは世代の異なる人々の地域文化や生活のあり様、考え方の違い、制度やしくみの違いを実感したかと思います。しかし出会いが深まる経過の中で、それらに互いに理解を示しながら、「もっと知りたい」という動機が沸き、次なるコミュニケーションを生んでいる場を数多く見ることができました。社会福祉の領域では、今後ますます地域を基盤として働くソーシャルワーカーには、多様な人々とつながり、あらゆる人やあらゆるサービスや制度につなげていく技術や手法が支援の中で求められています。さまざまな地域の多様性を認め合い、それを人々がつながる動機に変えていけるような社会のあり方へと貢献する大切さを感じることができたフィールドワークとなりました。


Ⅰ フィールドワーク目的・プログラム


このフィールドワークの位置づけ 
  • 本学の表記学科目の課外学習として位置づける
  • 本学と青森県下北郡風間浦村との交流事業として位置づける
  • 社会学部からのゼミ交流助成事業(交流事業)の一つとして位置づける

フィールドワークの目標
  • 風間浦村と学校法人同志社との交流事業を通じて、交流を深める。
  • 過去4年間の交流を踏まえ、昨年から始めた新たな交流の形を継承、実施する。
  • 本学で社会福祉学を学んできた最終年度の集大成として、本学と親交の深い風間浦村の協力を得て、専門演習での学びを実践し、交流を深める。

日程
2014年9月16(火)~9月18日(木)(2泊3日)

行き先
青森県下北郡風間浦村(本州最北端の村)

フィールドワーク受入れ先
*受入窓口
風間浦村役場 飯田浩一村長 (担当課:総務課)
*協力施設機関
風間浦村教育委員会、易国間小学校、蛇浦小学校、下風呂小学校、風間浦保育所 、青森県立大間高校

 
宿泊先
さが旅館

参加者
社会福祉学専門演習Ⅲ・Ⅳ(野村ゼミ)

学生氏名交流実習先
井内 晃希蛇浦小学校
青島 一生風間浦保育所
藤田 智与下風呂小学校
林   洸佑下風呂小学校
林   里穂風間浦保育所
今井 裕揮下風呂小学校
石丸 貴彬蛇浦小学校
上戸 亮 蛇浦小学校
前田 彩実下風呂小学校
松田 彩友美風間浦保育所
森   葉月下風呂小学校
阪井 祐子蛇浦小学校
竹内 陽香 蛇浦小学校
ゴ   コウ風間浦保育所

引率
野村裕美(ゼミ担当教員) 


旅程

9月16日(火)7:30伊丹空港集合チケット手渡し・搭乗手続き・チェックイン
8:15伊丹空港出発
10:00青森空港到着風間浦村総務課バスお迎え
10:30バス移動※バスの中で村の概要ガイダンス
12:30昼食昼食休憩(むつ市「まさかりプラザ」)
13:10 まさかりプラザ出発
13:40 恐山見学
14:20 風間浦村へ向け出発
15:50風間浦村役場到着風間浦村長 飯田 浩一様へあいさつ
風間村職員へあいさつ
16:00講演
「風間浦村と同志社」
講師 風間浦村教育委員会
教育長 越膳 泰彦 氏
17:05わいどの木訪問村口産業
18:30宿到着
夕食
ミーティング①
さが旅館

一日目の振り返り・明日の交流準備、機器のチェック、打合せ
22:00就寝

9月17日(水)
7:00起床
7:30朝食・ミーティング②一日の予定・健康チェック
8:30宿出発
9:00フィールドワーク開始・交流実習(一日)下風呂小学校・蛇浦小学校・風間浦村保育所
12:00終了予定大間高校へ移動
12:30昼食
13:30授業開始大間高校交流会・ケースメソッド授業「みなさん、多目的トイレを知っていますか~多目的トイレを通して生活の多様性について考える~」
15:30終了
16:00放課後子ども教室
18:00フィールドワーク終了蛇浦小・下風呂小放課後教室参加
18:30宿到着
19:00夕食(交流会)
21:00ミーティング③村の関係者との懇親交流会
22:00就寝

9月18日(木)
7:00起床
7:45朝食・ミーティング④一日の予定・健康チェック
8:20宿出発
8:30新島襄寄港記念碑、本州最北端の地訪問(記念撮影)
9:00風間浦村社会福祉協議会
訪問・診療所見学
施設及び事業説明
10:00大石神社祭典参加山車の運行で、易国間小学校生との交流
12:00昼食
13:30風間浦村出発
15:00道の駅「菜の花プラザ」休憩
18:15青森空港発
19:50大阪伊丹空港着
20:00解散空港にて解散

Ⅱ 各プログラム報告


「恐山訪問」 森葉月

 2014年9月16日(火)~9月18日(木)の青森県へのフィールドワークツアーでの最初のイベントが恐山見学だった。恐山は、下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、日本最大霊山の一つに数えられている。カルデラ湖である宇曽利湖を中心とした外輪山の総称である。古くは宇曽利山「うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、恐山「おそれざん」と呼ばれるようになった。 「うそり」とはアイヌ語の「うしょろ」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰で「恐山」という名称の単独峰はない。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。また、862年、慈覚大師円仁は「東へ向かうこと三十余日、霊山あり その地に仏道をひろめよ」との夢のお告げに従い諸国を行脚したのち、たどり着いたのが、恐山と言われている。霊場内には数種類の温泉が湧き、湯治場としても利用されており、下北半島国定公園に指定されている
昼食をまさかりプラザで済ませ、13時半ごろ到着予定で恐山へとむかったが、標高が高くなるにつれて、硫黄の香りが鼻をついた。また、恐山に向かう際に右手に宇曽利湖から流れ出ている三途の川があり、そこには業の悪いものは橋が糸のように見えて渡ることが出来ないと言われている太鼓橋が見えた。ここが、俗界と霊界の境となっているそうだ。恐山総門の前でバスから降りて、総門の前で記念撮影をした。総門をくぐると、奥の地蔵殿まで続く石畳の参道が目に入る。参道を進むと、触ると力がもらえるという亀の石像があり、これをみんなで撫でた。甲羅の中に小さい亀が数匹乗っている少し変わった石像だった。地蔵殿で参詣したあと、左を見ると、地獄めぐりの入り口があった。この頃には硫黄臭にも慣れてきた。地獄めぐりが始まると、荘厳な雰囲気からか自然と口数が減った。一面真っ白な火山岩のため、景色に色がなく、どこか淋しい気持ちになった。賽の河原のように積み石が随所にあって、風車が置かれている。この風車は幼子の霊を慰めるためだそうだ。積み石も子供が天まで積むとこの世に帰ってこられるという言い伝えもある。地面を流れる細い川は生暖かく、温泉が流れているようだった。岩場地帯を抜けると風景は一変し、宇曽利湖畔にでる。今までの殺風景とは違い、エメラルドグリーンで透き通った湖はものすごく美しく、極楽浜と呼ばれているそうだ。砂の上にも風車が挿してある風景はまた淋しい気持ちにさせられた。
フィールドワークツアーということもあり、時間に限りがあったため、ゆっくり恐山を見学することができなかったが、次は恐山大祭か恐山秋詣りの時に恐山にいってイタコに会ってみたい。


「風間浦保育所訪問」 青島一生

 朝は午前7時ごろに起床し、朝食を取った後に各自分かれてフィールドワーク先の車に乗った。服装は動きやすいものという指定があったため、上にパーカー下にスウェットそして帽子をかぶるというスタイルで行った。宿舎から保育所までの距離は車で約10分程度。到着するとまず保育所の先生たちに迎え入れていただき、中に入ると子供たちの騒がしい歓迎が待っていた。中に入って少ししてから園長先生が挨拶に来られて、そのあと職員室にて園長先生のお話を聞いた。丸い眼鏡をかけていて、白髪交じりの笑顔の素敵なおじさんといった感じの人だった。お話の途中、急な腹痛に襲われトイレに行くことに。職員用のトイレをお借りしたのだが、このトイレの外側の扉の上の方に針金でできた鍵がついていた。これは何のためについているのか尋ねてみるとどうやら子供たちが勝手に入らないようにするための鍵とのことであった。確かにこの高さに鍵があれば子供たちは一歩も入れないだろうと思い、用を済ますと無邪気な猛獣たちが入らないようにと、しっかりと鍵をした。
 園長先生のお話が終わると、園内の見学をさせてもらった。見た目は非常にきれいな内装となっており、設備もしっかりとしていた。園内見学が終わると、次は待ちに待った子供たちとの交流会。交流会といってもどうやら子供たちが毎朝行う体操やお遊戯のようなものに参加させてもらうといった形の交流会だった。まず初めにラジオ体操をして体をしっかりとほぐす。その後お遊戯に移りそこから参加させていただくことに。園児たちは初めて見るかわいいお姉さんやカッコいいお兄さんたちに興奮を隠せないのか、落ち着きのない子たちが沢山見受けられた。実際お遊戯中にもかかわらず園児たちが私の周りにものすごく集まってきた。子供たちにもこんなにモテてしまうのかと思ったのだがそれは単なる思い過ごしだったようだ。園児たちが興味を示していたのは私がかぶっていた帽子だったのだ。帽子を奪い取ると、すぐに園児たちで争奪戦が始まった。
 そしてお遊戯がおわると、最後に園児たちが前年披露したダンスを見せてくれた。ソーラン節に合わせてみんな一生懸命披露してくれた。そして最後に先生たちと園児たちに挨拶をして必ずまた戻ってくると約束をしてその場を後にした。


「下風呂小学校訪問」 今井裕揮

9月17日水曜日、午前9時に下風呂小学校にて今井裕揮・林洸佑・森葉月・藤田智与・前田彩実の5名でフィールドワークを開始。全員校長室に通され、校長先生からフィールドワークの予定事項を聞く。
まず、体育館で全校朝礼という形で下風呂小学校の全校生徒の前で自己紹介をする。校長先生からはこのときに関西弁と関西のノリをできれば前面に押し出した形での自己紹介を要求され、5名とも各々の全力でこれに応える。私の場合は地元の神戸と風間浦村の違いを教えたり、逆に風間浦の子どもたちがもっている関西のイメージを直接問いかけて質問をしたりしてみた。もちろん問いかけをした際は標準語に直すことなく、校長先生の要望通り、すべて関西弁を使った。自己紹介には5人で20分ほどの時間をいただいた。自己紹介を終えると、そのあとは30分ほど体育館で自由時間が設けられた。ここでは5人がドッジボールやバレーボール、おにごっこなど子どもたちがしたいことに対して一緒に遊びに興じていた。自由時間が終わると、5人は一旦校長室に戻り、少しの間休憩をした。
次に5人は校長先生、教頭先生に校舎の全体を案内していただいた。グラウンドにサルが出没する話や理科室の裏にある畑の作物を早く収穫しないと動物たちに食べられてしまう話など田舎ではよくあることを教えていただいた。各学年の教室を見てまわった際には、生徒数が少ないので1人の先生が2つの学年を受け持っていた。この時に低学年のクラスに行く人と高学年のクラスに行く人を分担した。
林洸佑・藤田智与の2人が低学年クラスの担当で、今井裕揮・森葉月・前田彩実の3人が高学年クラスの担当になった。高学年のクラスは4年生から上の学年である。全学年共通で体育館で行ったものよりも詳しい自己紹介をしてほしいのと、さらに関西のことについていろいろ子どもたちに教えてあげてほしいとの要望が校長先生からあった。教室では我々、大学生の自己紹介のあとに子どもたちの自己紹介もしてもらった。その際に他者紹介ゲームというものをした。子どもたちと大学生との1対1の自己紹介をしてそのあとに自分以外の人の紹介をするというものである。そのあとは座談会というかたちでフリートーク形式であった。高学年なだけあり色恋沙汰の質問なども飛び出し度胆を抜かれ。子どもたちは基本的に馴染みがまったくない我々、「大学生」というものと「関西」というものに非常に興味を示していた。風間浦と関西は具体的にどれほど離れているのかということを聞かれたり、即興の関西弁講座を開いたりなどした。フィールドワークの終了が迫ると子どもたちから関西に行ってみたいとの声が聞こえた。


「蛇浦小学校の子ども達との交流」 石丸貴彬

私は蛇浦小学校3年生~4年生クラスの授業のお手伝いをさせて頂いた。このクラスの生徒は8人程で少人数クラスだった。最初の授業は数学で、3ケタ、4ケタの割り算がテーマだったのだが、綺麗に割り切れる問題だけでなく、余りが出る問題もあり、苦戦している生徒もいた。私は○つけと解答への手ほどきをする役割を任されていた。中々問題を解けない生徒には答えを言ってしまいそうになったが、あくまでも生徒の力で解くことが大切だと感じたので、最小限のヒントで少しずつ解答へ導く方法を取ることにした。計算の早い生徒もいれば、遅い生徒もいたが、集中力を切らすことなく次の問題に向かう姿が印象的で、計算の早い生徒は習っていない難しい問題にも挑戦していた。
次の授業は総合学習の授業だったと思う。その授業では「自分の将来の夢」について話した。先に私が将来の夢について話をし、子ども達がそれを参考に自分たちの夢を話すという形式である。
私はアルバイトでテニスコーチをしているので「自分の生徒が錦織圭選手の様に将来世界で活躍して欲しい、その手助けをしたい。」と述べた。また4月から製薬会社で働くので「将来はMRとして病気で悩む人々を救いたい。」とも述べました。そのあとに、子ども達から自分の夢について話して貰った。少し恥ずかしがって話す生徒もたが、最後まできっちりと自分の言葉で話しており、自分の小学生の時よりも堂々としていたように感じた。生徒の一人に「漁師になりたい」という生徒がいて、育ってきた環境の違いに驚かされた。休み時間は全校生徒のほとんどが体育館に集まり、男の子も女の子も思いっきりドッジボールを楽しんだ。3年生~4年生クラス以外の子ども達は初対面であったが、人見知りするような生徒は少なく、すぐに打ち解けることができた。元気のある生徒ばかりで圧倒されそうになったが、子ども達の元気に負けないように自分も楽しんだ。休み時間が終わって、連続して体育の授業を体育館で行った。自分がアルバイトでテニスコーチをしていることを考慮して頂き特別にテニスを子どもたちに教える時間を頂いた。始めはラケットにボールが当たらない生徒もいて、退屈に感じるような生徒もいたが、終盤に行ったラリーでは、生徒全員がボールを上手く打つことができるようになり、テニスを楽しんでいたので安心した。この授業を終え、一旦蛇浦小学校の3年生~4年生クラスとはお別れした。その後放課後にもう一度蛇浦小学校にお邪魔し、学童保育の小学1年生~2年生の女の子4人と体育館でバスケットボールを行った。女の子で背は小さかったが、運動神経が抜群で積極的にシュートを打ち、将来が楽しみな生徒達だと感じた。約2時間程、運動し、お世話になった蛇浦小学校の先生、生徒に挨拶をして、18時くらいに学校を出ました。


「蛇浦小学校訪問」 竹内陽香

 風間浦村交流二日目(9月17日)の午前9時に、蛇浦小学校を訪問した。蛇浦小学校に訪問したのは、ゼミ生5人である。まず初めに、私たちは校長室に招かれ、蛇浦小学校がどのような学校であるか主な説明を受けた。私たちは今回、各学年のアシスタントとして配置されることとなり、それぞれ希望の学年にいくこととなった。
それぞれの学年の教室に行く前に、木造の体育館や改築された洗面所の見学をした。蛇浦小学校の大切な特徴として挙げられるのは、建物が木造であること、そしてその木がすべて青森の名産のヒバの木であることであった。体育館も洗面所もヒバ特有の香りが漂っていた。コンクリートではない、木造ならではの柔らかさとあたたかさが建物にはあった。その見学の後、私たちはそれぞれの学年に分かれた。
私は5・6年生のアシスタントとなったので、その教室に向かうことになった(蛇浦小学校は生徒の人数が少ないため、5・6年生はひとつの教室のスペースをうまく使い、授業を行なっている)。5・6年生の担当になったのは、私を含め3人のゼミ生である。まず初めに、あいさつとともに子どもたちと他己紹介をした。次に、子どもたちが他校とともに行った野外授業についてパワーポイントで発表することになっていたので、その作成されたパワーポイントを見ることになった。廊下の一番端に並べられた机の上に人数分のパソコンがあり、子どもたちは各自が作成したものをそれぞれ私たちに見せてくれた。私たちはそこで、USBにデータを保存する方法を子どもたちに教えた。そして、私たちのうちのひとりが各自のデータをつなぎ合わせる作業を行い、残りの二人は子どもたちが算数の課題をしているので、その丸付けとわからないところを教えることとなった。少しした後、休み時間になったので、子どもたちとドッヂボールやUNOをして遊んだ。
私は休み時間終了とともに風間浦中学校に見学に行くことになったので、教室を後にした。中学校では、まず校長室にお招きいただき、お話をした後、風間浦中学校と同志社との交流の記録が残った教室を見学させていただいた。その教室には多くの同志社との交流の証が保存されていた。一通り見学したので、私はまた蛇浦小学校へと戻った。
私が小学校に戻ると、「大学に行くべきか、行かないべきか」という題材をもとに討論をする授業が行われた。子どもたちは初めに、各自ノートに最初の意見を書き、その後その意見をもとに席の配置を二つに分け、それぞれその意見にどうしてなったのかという理由を述べ合い、お互いの意見に対して、討論し合った。そしてある程度の意見が出たところで、子どもたちは大学とはどのようなところかという大学に対しての疑問や質問を私たちに投げかけ、私たちはそれ答えることとなった。そして新しい大学への知識を得たところで、子どもたちはもう一度、「行くべきか」「行かないべきか」という問いへの意見をノートに書くことになった。最初は7割くらいが「行かない」という意見であったが、最後にはひとりの子以外は「行く」という意見に変わった。そしてその授業を最後に子どもたちとお別れをし、私たちの小学校訪問は終了した。


「大間高校でのケースメソッド授業」 上戸亮

 9月17日水曜日、青森でのフィールドワーク2日目のお昼頃に訪れた場所は、大間高校という地元にある高等学校である。私たちはその場所で、ゼミの序盤に行ったケースメソッド授業を行うことになっていた。今回の青森でのフィールドワークツアーでゼミ生全員が最も失敗を懸念していたであろうイベントである。準備の一環として、それぞれのゼミでの発表を整理し、検討した結果、今回の授業で取り扱うテーマを「多目的トイレ」にすることになった。また、今回は発表形式を一般的な授業形式ではなく「ワールドカフェ」形式を取ることになった。これもゼミで取り扱った授業形式である。ゼミ生がワールドカフェのホストとなり、大間高校の生徒がその店に来る、そして一つのお題を話し合ったら生徒はまた別のホストがいる店へと向かい、前の店での感想や体験を述べてシェアしていく、というものである。授業の時間になると、多くの高校生たちがそれぞれゼミ生がホストをしている店へと向かう。しかし、初対面かつまったく違うコミュニティの存在である大学生に若干緊張している様子を見てとれた。しかし、あらかじめ用意していたアイスブレイクの時間に自己紹介を行うことによって少しだけその緊張もほぐれたようで、徐々にお互いの距離が縮まっていく。授業が始まると、高校生たちは真剣な表情でレジュメを読み、その段階で今回のテーマである「多目的トイレ」について多くの生徒が存在を認知していないことが明らかになった。大きなスーパーの中にあるかないか程度のものであり、その時点で都市部に住んでいる私たちとは大きな違いがあるということに驚かされた。自分たちがほとんど知らない存在である「多目的トイレ」についての洞察の中には、「なぜこのようなものが出来たのか」や「私だったらこう使う」などのテーマの根幹部分にある点について述べている子もいたため、私の班ではその疑問をより掘り下げていくために会話を広げることに尽力した。3回のローテーションの後、授業は終了。ケースの着地点を代表者が発表している中、高校生たちがとても真剣な表情で発表を聞いているのがとても印象的だった。
 今回のケースメソッド授業は高校生たちにどのように受けとめられただろう。私自身印象的であったのは、都市部とそれ以外の福祉発展のスピードの遅さである。現地の高校生たちのほとんどが多目的トイレの存在を認知しておらず、この点はもっと認知を広げていくべきではないかと思う。現地の高校生たちの感想の中に「知らないことを知れてよかった」「ほかの人の意見を聞く機会があまりないので新鮮だった」というものがあった。これをキッカケに多くの人に多目的トイレの存在が知れ渡る時に、このケースメソッド授業は成功したと言えるのではないか、と私は感じた。


「下風呂小学校でのプラ板教室(放課後教室)」 阪井祐子

 風間浦村でのフィールドワーク二日目の夕方、同志社生の女性メンバーで下風呂小学校にて放課後子ども教室を行った。もともと私が趣味で作っていたプラバンアクセサリーを青森でも作って、プラバン教室をしようかと野村先生と話し合っていた。そして、下風呂小学校での機会を頂いた。
 当初、下風呂小学校の女の子だけが参加するというように聞いていたので、今回は、プラバンを花形状に切ったものを二枚重ね合わせ、ビーズを通してお花の指輪を放課後教室でつくることにした。花のイヤリングやキーホルダーなどを作ることも考えてみたが、材料を購入せずに、家庭によくあるもので作れる花の指輪に決めた。材料はプラバン、ビーズ、ビーズを通す糸、カッターナイフ、はさみ、軍手、色鉛筆、油性ペン、紙ヤスリ、アルミホイル、ボンドを同志社学生の皆と協力して持参した。準備としては、あらかじめ人数分にプラ板と紙ヤスリを切るぐらいだった。プラバンアクセサリーとは、プラバンという薄いペラペラ状のプラスティックのような板(プラ板)に油性ペンで絵を描いたり、紙ヤスリで表面を削った後、色鉛筆で絵をかき、それをオーブントースターで焼くと、縮んで固くなる。オーブントースターを使うことは、小学生だけで行うとやけどの恐れもあるので、その他、カッターナイフを使うなど、危険な作業は大学生が行うことにした。
 実際、下風呂小学校に行くと、男子小学生もいたので、男子小学生にも放課後教室に参加してもらった。ただし、男子小学生には、お花の指輪を作るのではなく、プラバンを使ったキーホルダー作りをしてもらった。まず、同志社生が前一列に並び、各自自己紹介をおこなった。その後、小学生は男女に分かれた状態でいくつかのテーブルに座っていたので、そのままの状態で、一人から二人の小学生に対し、大学生一人とペアを組んでもらった。そして私が前で一通り、ざっくり作り方を説明した後,同志社生と小学生でアクセサリー作りを始めてもらった。
 まず初めに、プラ板をお花の形に二枚切ってもらった。そして、紙ヤスリや油性ペン、色鉛筆を用いてお花に色をつけてもらった。そして、大学生がカッターナイフを使って花の中心部に穴をあけ、花をオーブントースターに入れて焼く。プラ板は焼くと柔らかく縮み、時間を置くと少しずつ固くなる。焼いてすぐに軍手をはめた手で、花の中心部分を抑え、立体的な花の形を作った。この作業も危険なので、大学生が行う。後は花を二枚重ねビーズを通し、完成だ。小学生も気に入ってくれたようで、作業が早い児童は二個目の花の指輪を作った。下風呂小学校の児童は同志社大学生と一緒に楽しく花の指輪を作り大変良い交流の時間が持てた。
 最後は時間が足りず、下風呂小学校の先生に花の指輪のデザインの紙をお渡しし、プラバン教室は終了となった。


「大石神社例祭への参加」 前田彩実

風間浦村でおこなわれる4つのお祭りは、易国間地区の「大石神社例祭」、蛇浦地区の「折戸神社例祭」、桑畑八幡地区の「桑畑八幡宮例祭」、下風呂地区の「若宮稲荷神社例祭」であり、これらは全て青森県の無形民俗文化財に指定されているという。その中でも今回、私たちが参加させていただいたのは、9月18日に行われた、易国間地区の「大石神社例祭」である。「お祭り」というと、「屋台」や「夜」というイメージを強く抱いていた私は、昼間に山車のみで行われるお祭りを見るのも参加するのも初めてであったので、少し驚いたと同時に、どのようなものなのかと期待を膨らませていた。このお祭りのある日は、易国間地区の学校は休日になり、子どもたちを含む多くの住民が山車を引っ張るのに協力している、とのことであった。山車を引くのに参加できない住民も、山車が家の前を通る際には窓から顔を出して、通り過ぎる山車を見守っていた。私にとって、お祭りで学校が休みになるという風習はとても新鮮であり、また、家の前を山車が通過する光景も珍しいものであったので、それらの風習から、易国間の方々のお祭りに対する熱い思いを感じ取れた気持ちがした。18日のお祭りの天気は当初、あいにく雨と曇りを繰り返しており、そんな天気の中、山車を引っ張っていたが、幸いにもお昼頃から太陽が照り出した。山車が曲がり角に直面したら、山車を引く綱を地面に置いて、山車を一旦停止させるのであるが、その際、子どもたちに対して、「綱を踏むと、神様を踏んでいることになるから注意して!」という声掛けが飛んでいたことが印象的であった。しばらく山車を引き、規定の停車場に山車を下ろした地点で、その山車を囲うように踊るしきたりが始まった。易国間の方々はお祭りの本番に向けて、その踊りの振り付けを練習していたようで、易国間の学生が叩く太鼓のリズムに合わせて、とても軽快に踊っていた。一見すると簡単な振り付けに見えたが、実際に真似て踊ってみると、ステップのタイミングを掴むのが難しく、リズムに合わせて踊れるまでに少し時間がかかった。しばらく踊り続けてお腹も空いてきた頃、ちょうど太鼓が鳴り止んで、お祭りに参加した易国間の方々はみな建物内に移動し、そこで事前に準備された手作りのカレーライスをいただいた。長時間山車を引っ張り、しばらく踊った後だったので、カレーライスが身に染みて美味しかった。食後の休憩時間は子どもたちと過ごしたのであるが、子どもたち同士はみな顔見知りで、学年関係なく仲良く触れ合っている様子を見ると、日頃そのような光景を見ることが少ないので、とても微笑ましい気持ちがした。その後、易国間の方々と私たち大学生と記念写真を撮り、私たち大学生は次のスケジュールがあるため、バスに向かった。易国間の方々にバスの出発をお見送りをしてもらい、お別れをするのに名残惜しい気持ちがした。貴重な時間を一緒に過ごさせていただき、本当に感謝しているし、この経験は忘れないでおこうと思う。


「教育長による講演」 林里穂  

本州最北端の村である青森県風間浦村に着き,村の総合福祉センターへ移動した後,教育長の越前さんより風間浦村についてのお話を伺った.お話を伺う前にセンターの中を少し見渡したところ,開放的な玄関スペースに加え,調理実習室や機能回復訓練室など様々な用途の部屋が整備されており,まさに村の総合福祉センターという感じであった.定刻を迎え,越前教育長より風間浦村についてのお話を伺う中で,風間浦村は,下風呂村と易国間村,蛇浦村という3村が合併し,各村の名前を一文字ずつ取って合わせたものだということを知った.加えて,昔ながらの区割りが未だに根強く残っているため,銭湯などの料金に区民料金という特別なものがあることも知ることができ,風間浦村について少し具体的なイメージを持つことができた.
また,2014年は,我が同志社大学の創始者である新島襄が風間浦の下風呂港に寄港してから150年という節目の年であったこともあり,その記念式典が行われたときの様子を伺うこともできた.これに関連し,村の反対を押し切って作られた新島襄寄港記念碑についてや,井上靖が下風呂温泉に訪れ,宿泊した際に終局を書いたとされる「海峡」を記念して作られた井上靖文学碑についてもお話を伺うことができた.この文学の終章で,下風呂温泉郷が「いさり火の見える温泉」として紹介されたことにより,全国的に有名となった話から,イカが名産であることも知った.
風間浦村について様々なお話を伺ったが,越前教育長のお話の中で最も印象的であったことは,青函トンネルが全長53.85kmということである.


「わいどの木」 藤田智与

 「わいどの木」とは有限会社村口産業が経営する宿泊施設等のことである。有限膾炙村口産業は製材業を主とする会社で、青森ヒバの一般建築材の製材と販売を行っている。「わいど」というのは下北半島の言葉で「わたしたち」という意味を持つ。つまり、「わいどの木」というのは、「下北半島に生きる私たちの木=青森ヒバ」という意味が込められている。「わいどの木」では、自然と触れあうことの大切さを多くの人に知ってもらいたいとの思いから木工品の展示販売、木工教室などを行っている。私たちも木工品の展示販売場に伺い、青森ヒバでつくられた食器や小物などを拝見した。青森ヒバでつくられたお箸には自分で好きな文字などを彫れることができ、土産用にと購入している者もいた。
青森ヒバとは、長野県・木曽ヒノキ、秋田県・秋田スギと共に日本三大美林に数えられる。ヒノキ科アスナロ属の針葉樹で和名をヒノキアスナロ(学名:Thujopsis dolabrata)といい、日本固有の樹種として、その約8割が青森県内(主に下北半島・津軽半島)に集中している。青森ヒバは、香木とも言われるくらい香りが強い木である。その香りが人を和らげ落ち着きを与え健康にしてくれる。また木には、陽樹と陰樹とがあるが、青森ヒバは陰樹に入る。ほんの少しの光でも樹齢300年以上生きることのできる木である。
「青森ヒバ」には3つの特徴がある。その1つが「抗菌効果」である。青森ヒバはカビなどの多くの菌に対する抗菌性があることが判っている。この力は、青森ヒバ油に含まれるヒノキチオール等の成分によるもので、ひのきやすぎ等の樹木に比べて抜群の効果を発揮する。また、抗菌スペクトルが非常に広いこと、カビや腐朽菌に対して特に活性が高いこと、耐性菌の出現を許さないという特微がある。
2つ目は「防虫効果」である。ヒバで建てられた家には蚊やシロアリなどの害虫が近寄ってこないと言われている。シロアリに対する24時間後の致死量は1.20mgであり、非常に効果的な殺虫活性が認められている。また、蚊やゴキブリに対する忌避効果、殺虫活性も確認されている。
3つ目は「消臭・脱臭効果」である。「青森ヒバ」の持っている抗菌性は、雑菌を繁殖させないことの他に、雑菌から出る悪臭を防ぐ効果を発揮する。また、青森ヒバ油を芳香剤として使えば、独特な木の香りか嫌な臭いを包み込み消し去り、後には心地よい青森ヒバの香りか残る。芳香は高貴で爽快感があり、こころとからだの緊張を和らげる本物の癒しの香りそのものであった。
 また、わいどの木の宿泊施設も見学させていただいた。帰りには手土産として青森ヒバの枕を頂いた。


「さが旅館での滞在」 松田彩由美 

私たち野村ゼミ15名は9月16日~9月18日まで青森県風間浦村で村の方と交流させて頂いた、そこで三日間お世話になった旅館がさが旅館である。さが旅館は昭和20年ごろに開業し、平成9年に有限会社さが旅館に法人化している。下北半島に位置するさが旅館は本州最北端の温泉・下風呂温泉である。旅館からは津軽海峡が見えてとても眺めがよく、とても空気のきれいなところであった。夜には部屋から漁火が見えるという。旅館を入るとすぐにこじんまりとしたロビーがあり、笑顔が素敵な女将さんが私たちを迎え入れてくれた。私たちは二階と三階のお部屋に宿泊した。部屋はシンプルな畳の部屋で居心地の良い空間であった。一日目の晩は一階でお食事を頂いたのだが、そのおいしさに驚いた。特にウニのおいしさに感動した。関西では食べることのできない海鮮のおいしさを堪能した。そして温泉。決して広いわけではなかったが、昔ながらの雰囲気がある脱衣所と浴室で、ゆっくりと入ることができた。浴室には中くらいの内湯が一つあり、隅の木箱からお湯が一筋、流れ落ちるように注がれていた。お湯は無色透明であり、温度も熱すぎないので長湯するには最適である。浴槽は思ったよりも深かった。そして湯船の底には白い大きな湯の花が沈殿していた。温泉の質も良く体全身を温めることができ、旅行一日目の疲れをとることができた。大満足なお料理と温泉を堪能し、ぐっすりと眠りにつくことができた。
二日目は、朝からボリューム満点の朝ごはんを頂いた。その日に捕れた、名物の透き通った新鮮イカの刺身をおいしく頂いた。夜は風間浦村の方たちとの宴会がさが旅館にて開催された。二階の広いお部屋にはお刺身、蟹、焼き魚…色彩豊かな豪華なお膳が並んでいた。まさに質、ネタ、盛り付け、味、量ともに最高であった。その中でもマグロがとてもおいしかった。そしてカラオケまで用意して下さり、大いに長時間楽しむことができた。そして夜に旅館を出て、空を見上げるとたくさんの星を眺めることができた。
最終日は午前中に旅館を出発した。素敵な笑顔で温かく迎えて下さり、私たちは120%大満足のおいしいお料理と温泉を満喫することができた。親切に対応して下さり、家庭的でアットホームな温かみのあるさが旅館を身を持って感じることができた。是非また来たいと思う旅館であった。

Ⅲ フィールドワーク感想


阪井祐子

 今回、風間浦村の方々と交流させていただいて、全てが新鮮だった。私たちが生活する大阪や京都にはない、人の温かさや美しい自然があった。
 今回の交流の中で様々なことが思い出深いが、一番印象に残ったことが大間高校でのケースメソッド授業である。このケースメソッドは林洸佑が春学期の授業で発表した、多目的トイレを健常者が使用することで生じる問題に焦点をあてたケースメソッドを高校生向けにアレンジしたものだった。どうすれば短い時間の間で70名ほどの高校生が主体的に授業を楽しんでくれるか、私たちがこのケースを通じて、何を高校生に感じてもらいたいか、何を伝えたいかを必死に考えた。高校生のみなさんの前で、ただ一方的に伝えるだけでは、よく伝わらないだろうし、高校生も楽しくないだろうと思ったので、三年生の時にゼミで学んだワールドカフェという形式で授業を行うことにした。ワールドカフェでは、リラックスしてカフェにいるような感覚で参加してもらい、目の前の模造紙に好きに思いついたことを書いてもらう。その形態で、多目的トイレの健常者の利用について考えてもらった。
私が交流した高校生は男子学生が多く、最初はなかなか、模造紙に何かをかくことも出来ず、打ち解けるのに時間はかかったが、少しずつ高校生も自由に話したいことを話してくれるようになった。このケースメソッドに対しての理解や感想は様々で、大変深く理解し、自分の率直で素直な意見を述べてくれる子もいれば、リラックスした状態で絵を書き続ける子もいた。
 大間高校の近くには大学はなく、大間高校の高校生にとってなかなか大学生とは、どんな感じなのか、どんな授業をするのか、どんなことをどうやって学ぶのか想像がつきにくいだろう。このケースメソッド授業を通して、高校生が少しでも楽しんでくれて、大学や大学生に対して何かを感じてくれれば嬉しいと思う。高校生たちが自分の進路を考えた時、少しでも私たちのことを思い出してくれれば嬉しいなと感じた。
 また、蛇浦小学校でも児童と交流させていただいたことも、すごく楽しかった。小学1年2年生が同じ学級で授業をしていて、私はその授業の補助やグラウンドでリレーに参加させて頂いた。子どもたちの笑顔にすごくパワーを貰い、今でも一人一人の顔をしっかり思い出せるぐらい、今も鮮明に覚えている。また皆に会いたいなと思う。
 今回、風間浦村との交流を機に、私たちと関わってくださった方々が、少しでも私たちに会えて良かったと思ってくださるのなら、大変嬉しい。そして風間村役場の皆様はじめ、風間浦村の方々への感謝の気持ちでいっぱいだ。
                              

石丸貴彬

私にとって3泊4日の青森合宿は非常に有意義な時間であり、楽しかった学生時代の思い出の一つです。まず、風間浦村の魅力について話したいと思います。風間浦村の魅力はたくさんあるのですが、特に私は風間浦村の方達の人柄に驚かされました。皆それぞれ個性が有り、温かい方達ばかりで都会に住む私達と違って心にゆとりがあるように思えました。また、風間浦村に住む子どもたちも何に対しても活発でそして素直で、小学生ながらに自分の意見をしっかり持って行動している子どもが多く、私の方が手本にしなければならないと思う程でした。子ども達の中には中学を卒業後に「漁師」になりたいという生徒もいて、成長環境の違いに驚かされました。実際、旅館の隣の温泉で話した少年は中学を卒業して漁師になり、今日も海に出ると言っていました。年齢は18歳で自分より下でしたが、一足先に社会人として働いていており、自分より逞しく見えました。
次に私の中でとてもいい経験になった、大間高校でのケース討議について話します。私は青森合宿に来る以前からみんなで集まり、議論して完成したケース討議を司会として発表する役割だったのでプレッシャーがありました。また、聞き手が自分のことを全く知らない生徒であり、あまり社会福祉について関わりのない子ども達が相手だったので、上手く伝わるのか不安でした。実際、司会をやってみて、緊張して上手く伝えられなかった部分とここは生徒達にとって分かり辛かっただろうなと思う部分を直に見て悔しい思いがありました。次にこういう機会が頂けるのであれば、ゆっくり落ち着いて話すことと、相手目線に立って考えることを忘れないようにしたいと思います。ただ、時間通りに終われたこと、レジメ通りに話せたことは司会として最低限の仕事は出来たかなと自画自賛したいと思います。
最後に青森の食事、飲み会について話します。やっぱり一番楽しいのは、友人と会話をしながらの食事、飲み会です。青森の旅館の食事は本当に美味しく、今までしたことのないような贅沢をさせて貰ったといっても過言ではないです。また、地酒やワインも飲みやすく、美味しいお酒を飲みながら食事出来たのが、自分にとって最高でした。またお酒を挟むことで、普段話さないゼミの仲間たちとも少し打ち解けた様な気がしました。
以上、本当に楽しかった青森の感想を終わりにしたいと思うのですが、青森合宿の3日間風邪を引いていて、食事を残さず全部食べることができなかったこと。お酒をたくさん飲めなかったこと。カラオケを歌えなかったこと。この3つは後悔極まりない次第でございます。

竹内陽香

今回の風間浦村訪問では、2泊3日とは思えないほどのとても密な体験ができたように思う。恐山の見学から始まり、青森の名産との出会い、村人や子どもたちとのたくさんの交流、そして子どもたちに対して授業を実施するという、旅行に来ただけでは決して味わえない多くの貴重な体験をさせていただいた。かなりタイトなスケジュールとなったが、それだけの価値が十分にあり、どれも捨てがたい経験となった。
その多くの体験の中でも私にとって一番興味深かったのは、蛇浦小学校への訪問であった。私はもともと教育という分野に興味があり、さらに学校の建物に対しても興味があった。そんな私にとって、青森の名産であるヒバを使った木造建築とその建物とともに過ごし、育っている子どもたちとの交流は興味がそそられるものであった。そこでの交流を通して、授業のやり方や子どもと先生との関係性、子どもたちのできることなど、次々とその小学校のスタイルが生み出した良さを目の当たりにした。さらに、子どもたちとの大学をテーマにした討論会では、大学や将来のことなどに対して、子どもたちとともに向き合う機会を得られ、自分が何をしたいのか、何を求めていたのか、しっかりと再確認できた機会となった。これからの私にとってもこれは大切な経験となった。
様々な風間浦村での体験を通して何よりも大きく感じたのは、村の人たちのあたたかさであった。私たちに対して、そして同志社に対しての大きなあたたかさや親密さが今回の旅をより良いものへと導いてくれたのだと思う。いろんな偶然が重なり、新島襄がこの村と出会い、そしてそのつながりが何年も経て、今の私のつながりを生み出している。私は中学も高校も同志社だったので、風間浦村のことは知っていたが、まさかその村に自分が訪問し、様々な貴重な体験ができるとは思いもしていなかった。しかし、知らず知らずのうちに、つながりは生まれていたのだということを感じた。今回の交流で強く思うのは、ひとつの出会いは多くの出会いやつながりを生むということ、だからこそたったひとつの出会いでも大切にする価値があるということである。私が同志社と関わったことは偶然の出会いであったが、それが風間浦村との出会いにもつながり、多くの機会を得た。ここで学んだことをこれからの私は決して忘れてはいけないと思う。
今回の旅をより良いものに導いてくれた風間浦村の人たちは感謝の気持ちでいっぱいである。出会いの大切さやここでは記せなかったたくさんの想いや経験は私にとって大きな学びとなった。ここで得られたことはこれから進む道でしっかりといかしていきたい。

青島一生

 2014年の9月16日~18日までゼミ合宿として青森県の風間浦村へ行った。東京より北へは行ったことが無かったのですごく楽しみだった。出発地の伊丹空港からは飛行機で約2時間ほど。到着してまず初めに思ったのは「寒い」。9月の後半といっても京都ではまだまだ真夏日が続く日々の中、青森に降り立った瞬間秋の訪れを感じた。風間浦村までは空港からさらにバスに乗って3時間ほど。なかなかの長旅だ。途中パーキングにて初青森メシを食べたのだが、そこで食べたのがどこでも食べれるようなカキフライ定食。その時はどうしてもそれが食べたかったのだが、今となってはもっと青森らしいものを食べればよかったと思っている。パーキングを出た後、恐山というところを目指して出発した。野村先生の話を聞いていると、もはや一種の心霊スポットのような場所だと想像していたのだが、実際はものすごくきれいな景色が見れる場所だった。硫黄のにおいがきつかったが、それを除けば満点に近いような場所だった。そして風間浦村へ向けて出発し、到着したのは午後4時前だった。到着してすぐに村役場にて村長さんの話を聞いた。この村長さんがなかなか日本人離れした顔つきをしており、日産自動車の社長であるカルロス・ゴーンそっくりだったのが印象的だった。そのあとは風間浦村教育委員会の教育長さんのありがた~いお話を一時間ほど聞き、わいどの木というひばを主要とした商品をたくさん手作りしているお店に向かった。ここのオーナーさんもまた一癖ある方でおもしろい人だった。ここで主に扱われている「ひば」というのはヒノキみたいなもので、すごくいい香りがする木のことである。オリジナリティ溢れる作品や商品が沢山あったので見ているだけでも面白かった。そしてようやく宿について、ゆっくりすることができた。晩御飯はそれはもうこれでもかと言わんばかりの海鮮尽くしで、大変満足いたしました。
 二日目はフィールドワークをして、村の子どもたちとへとへとになるまで遊んだあとは、大間高校でしっかりと大学生らしいケースメソッド授業を行った。この授業において司会進行を務めさせてもらったのだが、どうもいつもの感じでやっていてもなかなかウケなかった(笑いの面で)のが心残りだ。彼らにはまだ少し早かったのかもしれない。そして今回の合宿で一番楽しみにしていた村の方々との交流会の時間がやってきた。とその前に新島が入ったとも言われる温泉に浸かってきた。ものすごく熱い。風呂の中で一人の青年と仲良くなった。彼は高校卒業後、漁師になったみたいだ。すごくカッコいい生き方してるなと思った。
 そしてようやくやってきた飲み会では、村の皆さんとかなりフランクな感じでお話しすることができてすごく楽しかった。カラオケで井上陽水の「傘がない」を披露すると、教育長さんにも大変気に入ってもらえたようだ。そうこうしているうちに朝になり、ついに青森出発の日となってしまった。青森合宿は色んな方たちとお話しできたり、普段できないような体験が沢山出来たので、自分にとっても非常にいい経験になったと思う。

林里穂

はじめに,今回,風間浦村で3日間を過ごすにあたって,お世話になった風間浦の皆様に感謝の気持ちを表するものとしてこれを残したいと思う.
私は今回のゼミ合宿で本州最北端の村である,青森県風間浦村を初めて訪れた.空気と景色の綺麗なところだな,というのが率直な感想であった.一日目に訪れた恐山では広く晴れ渡った空の下でゆったりとした時の流れを感じることができ,非日常的な時間を過ごすことができた.風間浦の村役場では村長である飯田さんをはじめとする沢山の職員の方に迎えてもらい,心が温まったことを覚えている.ついで訪れた村口産業では,ヒバという私にとっては馴染みのない木の温もりを存分に味わうことができ,この日以来,ヒバの枕無しでは眠れなくなってしまうほどのヒバ好きになった.時間も遅かったが,歓迎してくださった村口夫妻にも感謝の気持ちでいっぱいである.二日目は,朝から風間浦保育所を訪問し,パンダ組の子どもたちとお遊戯やフルーツバスケットを通して交流した.ちょうど敬老会に向けてダンスを練習しているところであった為,そのダンスを見せてもらうこともでき,子どもたちから笑顔と元気を貰うことができた.昼からは,本州最北端の町である大間に場所を移し,大間高校の学生と交流をした.ここでは,私たちが考えた「ユニバーサルデザイン」に関するケース討議を行ったのだが,ケース討議そのものよりも,高校生と交わした普通の会話がなにより楽しかった.将来の夢を聞くと,「私は美容師になりたい」「私はダンスを本格的にしたい」と沢山の輝かしい答えが返ってきたことに加え,夢を叶えるために努力していることなどを聞かせてくれた.大学4回生にもなって,周りに自信を持って語れるほどの夢があるわけでもなく,またなんとなく毎日を過ごしていた私にとって,自分自身を見つめ直す良いきっかけを与えてくれた彼らには本当に感謝している.大間高校の生徒と過ごした楽しい時間は私にとってとても大切な思い出となった.放課後に訪れた小学校では,プラ板教室が予想以上に盛り上がり,子どもたちが楽しそうに製作に励む姿を見て,一日の疲れが吹っ飛んだことをよく覚えている.この日の夜は,銭湯で地元の方とも沢山話すことができ,改めて風間浦村の良さを実感することができた.そして,最終日は,易国間のお祭りにも参加することができ,法被を着て子供たちと一緒に大きな山車を引っ張ったり,踊ったりと,とても有意義な時間を過ごすことができた.
今回の訪問によって,私は沢山の思い出を得ることができた.関わってくださった沢山の方に感謝している.そして,これからも同志社と風間浦の交流が途絶えぬことを願い,私の報告書とする.

藤田智与

 同志社大学の創設者である新島襄と密接な関係がある青森県の風間浦村にフィールドワークとして2014年9月16日から18日まで訪れた。新島襄はアメリカに密航する際にこの青森県の風間浦に立ち寄ったとされる。村の至るところには新島襄に関する記念碑などがあり、今でも新島襄との風間浦村との関係を大切にしていることが分かった。
 今回のフィールドワークでは新島襄のことに関して以外でも多くの貴重な経験をさせて頂いた。1日目は、風間浦村のことをさらによく知るために「わいどの木」を訪れた。ここでは青森特産の青森ヒバを使った木工品などを拝見し、青森の風土や地域性を感じ取ることができた。
2日目は風間浦村にある下風呂小学校・蛇浦小学校。風間浦保育所にグループに分かれて訪問した。私は下風呂小学校に伺った。下風呂小学校は全校生徒の数もとても少なく、授業も2学年が一緒に受ける形式で行っていた。ここでは主に児童たちと遊びを通して交流を深めただけであったが、各学年は5、6人しかおらず、少ない学年は2人という学年もあり、少子化問題を目の当たりにした。この小学校は何年後かには、易国間小学校、蛇浦小学校との合併が決まっているそうだ。しかし、全校生徒の数が少ないメリットとして、学年に関係なく児童全員で仲を深めることができるところがある。私が小学生の時は1学年に60人ほどおり、1つ学年が違うだけで顔も名前も知らないという子ばかりであった。それに比べ、この小学校では横のつながりだけでなく縦のつながりも強いように感じられた。また、生徒と先生の距離が非常に近いこともメリットとしてあげられる。授業において担任の先生と児童の距離が近く、勉強のペースを個人に合わせることができていた。そして何より、校長先生とお話しした際、1人1人の生徒の特徴を楽しそうに話されている姿にとても驚いた。私が小学生だった時の校長先生は私のことを覚えていないだろうし、私ももう顔も思い出せないからである。校舎も建て替えたばかりであったようなので合併してしまうのは少し寂しく思えた。
 小学校を見学させてもらった後には、大間高校で高校2年生の生徒たちにケースメソッド授業を行った。前日から皆で授業の構成を練ったが、たった2時間の授業でも自分たちが主導して行うことがここまで大変なものなのかと身をもって実感した。
 3日目は村の祭典に参加し、地域の小学生たちとともに山車を引いた。初めて間近で山車を見たが、その迫力に圧倒された。このフィールドワークに参加していなければ山車を引くことは一生なかったと思うし、本当に貴重な経験をさせて頂いた。
 同志社の創設者である新島襄ゆかりの地として同志社とのつながりも深い風間浦村であるが、直接は関係のない私たちにも同志社生だからという理由だけで快く受け入れてくれた風間浦村の人たちにはとても感謝している。ぜひまた機会があれば訪れたいと思う。

上戸亮

青森でのフィールドワークは実に有意義なものになったと言える。特に現地の自然環境は、大学のある京都や私が住んでいる大阪のそれとは大きく違い、緑や自然がとても多く空気が澄み渡っていた。現地の人たちもそういった風土環境からか温かい人がとても多く人口が少ないこの地域ならではの交流の深さなどがとても印象に残った。人と人とのつながりという点では、都市部に住んでいる人間とは大きく異なっている点ではないだろうか。風間浦村の人達のほとんどの人がそれぞれの情報を共有しており、「あの人はだれ?」と聞いたらほとんどの人が説明をしてくれる。もちろん人口が少ないという理由もあるだろうが、よそ者である私たちに対しての親身な対応を考えると、一概に人口だけが理由ではないように思える。近年、都市部でのコミュニケーションの減少が問題視されているが、この地域には全くと言っていいほどコミュニケーションの問題は感じられなかった。その理由には、ある種の好奇心のようなものがあるのではないか、と考えられる。風間浦村の人たちとの交流の中で、共通している事として「好奇心が旺盛」という点がある。子どもだけでなく大人も好奇心が旺盛で、知らないことに対しては素直に受け入れる環境があった。その大人の姿も見て子どもも成長していくため、知らないことを知ろうとする環境が自然と出来上がっていったのではないだろうか。大間高校の生徒や、現地の小学生たちの学習スピードの速さ、頭の回転の速さもおそらく好奇心から生まれてきているのではないかと見受けられた。他人に対しても関心を多く持っており、秘密主義に近い都市部の生徒たちとは大きな違いがある。村という小さなコミュニティかつ風間浦の風土が自然とそうさせているのではないだろうか。
 しかし、「多目的トイレ」のような福祉的設備は未だ知られておらず、現地の高校生でも知っている方が珍しいほど認知されてはいなかった。福祉的設備の設置が急務であり、その認知も同時に進めていかなければならないのではないだろうか。自然が豊富だからこそ、自然災害が起こったときのためにもそういった設備が必要になってくる可能性も高い。そのため、都市部ほどとは言わないが最低限の設備は設置するべきだと感じた。
 多くの発見が今回のフィールドワークにはあり、また多くの学びも今回のフィールドワークにはあった。今回学んだ経験や学びを忘れずに自らの糧にしていきたいと考えている。

前田彩実

青森県を訪問すること自体、今回のゼミ合宿が初めてであったため、青森県風間浦村とはどのような土地か、青森県風間浦村にはどのような方がいるのか、青森県風間浦村の食事はどのようなものなのか、全てが新鮮で楽しみにしていた。飛行機やバスに乗り、約5時間ほど時間をかけて実際にその場に着き、豊かな自然と広大な海、また、海鮮を中心とする美味しい料理、そしてなにより、出会い、出迎えて下さる方々が、同志社大学に対して熱い思いを抱いて下さっていることに感動を覚えた。それと同時に、同志社大学に通っているにもかかわらず、同志社大学に関する知識がほとんどなかった私は、出迎えて下さる方々が関心を抱いて下さっている同志社大学の歴史について、改めて興味を持つことが出来た気持ちがした。また、反対に、同志社大学に興味を抱いて下さっている青森県風間浦村の方々や地域についても興味を持つことが出来た気持ちがした。例えば、地域のお祭りに参加させていただいたり、少人数制の小学校に訪問させていただいたり、高校生と交流を持たせていただいたりする中で、村独自の文化や風習に直接触れることが出来、それらの実体験を通して、日頃感じることの少ない世代間交流の魅力を感じることが出来た。特に印象に残っているのは、小学校と高校に訪問させていただいたことである。少人数制の小学校では、他学年が同じ教室で一緒に学習していたり、休み時間は全学年で体育館に集合して遊んでいたりと、子どもたち同士が学年を超えた関わりを強く持っていたので、私が経験した小学校生活とは全く違っていたことに驚いた反面、そのような環境にいる子どもたちに羨ましい感情を覚えた。子どもたちみんなが兄弟のようで、先生方と子どもたちが親子のようで、私が抱いていた「学校」というもののイメージがいい意味で覆された気持ちがした。子どもが少ない分、先生が生徒一人一人と時間をかけてじっくり向き合い、話や授業をしていたため、学校全体に、子どもたちを見守る温かい空間が広がっているのが印象的であった。しかし、小学校が統合される話があるということで、少し寂しい気持ちがしたのを覚えている。また、高校の訪問では、高校生と交流する機会を持たせていただき、バリアフリーというテーマを通して、現地の高校生と話をすることが出来たのがとても新鮮で印象に残っている。高校の先生が、「子どもたちが村から出て、あらゆる地域で活躍してくれたら嬉しいな」という言葉を口にしていので、今回のご縁をきっかけに、同志社大学を志望する生徒が一人でも出たら嬉しいなと感じた。最後になったが、今回のゼミ合宿は2泊3日という短い時間ではあったものの、自分自身の視野を広げるとても良い機会を与えていただけたと感じている。豊かな自然と温かい方々に囲まれて、同じ日本でありながら、自分が住む関西とは一風変わった穏やかな時間を過ごさせていただくことが出来た。それも全て迎えて下さった方々の配慮や気遣いのおかげであり、本当に感謝してもしきれない有意義な時間であったと感じている。

今井裕揮

まず青森と関西の違いについて非常に強く思ったことがあった。それは子どもたちの純粋な反応である。私のサークル活動で受け持つ関西の子どもたちよりも純粋な心で強い反応が返ってきていた気がしてならなかった。多くの自然の中で育った子どもたちはこんなにも純粋になるのかと思わざるを得なかった。これは関西の子どもたちを蔑んでいるわけでは一切ない。ただ単に私の思い込みかもしれないがそのときは非常に強く感銘を受けたことをはっきりと覚えている。小学校で出会った子どもたちや祭りで出会った子どもたちなどほとんど例外なく先ほどの感想を持っていた。
さらに興味深いことに子どもたちは我々と話すときと、地元の人と話すときには言葉を変えていた。我々と話をするときは標準語であり、地元の人と話をするときは地元の下北弁なのである。私は何人かの子どもたちに、なぜわざわざ言葉を標準語に変えているのかという質問をした。その際、決まって返ってくるのは、「下北弁はわからないと思って」という言葉である。小学生ながらに関西から来た部外者に気を使えるあたりに非常に感動した。いや、むしろ感動というよりは衝撃と表現したほうがいいかもしれない。
風間浦の大人の方によく言われたことは「関西弁は早くて何を言っているのかわからない。さっきの言葉を考えているうちに話題はすでに違う方向になっている。」ということである。これも関西人である私からしたら衝撃である。私の感覚では早くしゃべっているつもりなど一切ない。このことで常識と思っていることも場所が違えばそれは常識ではなくなるということを肌で感じた。
このフィールドワークで一番うれしいと思ったことは青森の子どもたちの関西に行ってみたいといった声を非常にたくさん聞いたことである。子どもたちからすれば関西などテレビの向こうの世界であるに違いない。そんな得体のしれない土地に興味を持ってくれたことが率直にうれしいと思った。ある子からは関西に行ったときには案内してほしいと言ってもらえた。風間浦の子どもたちのなかに溶け込めた瞬間であると一人で勝手に思い込んでいる。空気は澄んでおり、人の温かみに溢れた風間浦にはまた機会があればぜひ行きたいと思った。そして風間浦の子どもたちが関西に来た際はぜひ案内をしてあげたい。

松田彩由美

私は今回初めて青森県に行った。その中で本州最北端ということで、関西からでは少し長旅ではあったが、わざわざ前泊して空港まで私たちを迎えにきてくれた人の温かさをまず青森県に着いて始めに感じた。
風間浦村へは恐山を経由して向かった。お世話になるということでご挨拶に向かったが、私たち同志社生のことをとても歓迎して下さっているころを感じた。あまりお話する機会はなかったのだが、村長さんは実に明るくユーモアのある方であるという印象を受けた。教育長から風間浦村と同志社とのつながりについてのお話があり、縁の深さを改めて感じることができた。その後は、わいどの木へ訪問した。ヒバの香りがとても癒された。ヒバで作られた家はとても温かみを感じることができて、デザインもかわいく素敵であった。お土産も頂き、早速使わせて頂いています。そして旅館へ。まず何と言っても関西では食べることのできない海鮮のおいしさに感動した。特にウニはボリュームもたっぷりで大満足であった。
二日目は私は風間浦村保育所へ行かせて頂いた。次々と登校してくる子どもたちはとても興味深そうな、また少し照れながら私たちを見てきた。私たちの存在が珍しそうであった。始めに一人ずつ子どもたちの前で自己紹介をした。驚いたのは一回で私たちの名前を憶えてくれたことだ。嬉しかった。朝の体操を一緒にしたのだが、なかなか体力のいるものであった。一緒に体を動かすことは気持ちが良かった。その後は、五歳児のこどもたちとフルーツバスケットを楽しんだ。みんなとても笑顔で、私も真剣に楽しむことができた。最後はその時練習していたダンスを見せてくれ真剣に頑張っている姿も見ることができ、とても可愛かった。楽しすぎてあっという間に時間が過ぎ去った。午後は大間山高校へ向かった。事前に用意したケースメソッド授業を行った。はじめてこのような大人数の場で授業をするので、私たちも非常に緊張していた。授業が始まる前、準備のため体育館で作業していたのだが、すれ違う生徒皆、明るく挨拶をしてくれ、次第に緊張がほぐれていった。授業は始まり皆が真剣に取り組んでくれていた。すべてのプログラムが終わり一安心した。すると生徒のほうから一緒に写真をとりましょうと言ってきてくれた。非常に充実した時間であった。そして放課後は蛇浦小学校へ行き、ブラバン教室を開いた。みんな嬉しそうに自分の好きな絵や花をかたどり、アクセサリーなどを作っていた。一日でたくさんの人と関わることができて、収穫の多い日であった。
三日目は村のお祭りに参加させてもらった。はっぴを着て易国間小学校の生徒とお祭りを楽しんだ。自ら手を握ってきてくれる活発な生徒や話しかけても上手く話せない人見知りな生徒、たくさんの生徒と触れ合った。時間が過ぎるのは早いもので、三日間が一瞬のように感じた。空気がきれいで人が温かい風間浦村。また来たいと思った。

森葉月

 今回のフィールドワークツアーで初めて青森県に行った。その地域に住んでいる人に対して、東京は冷たいとか、大阪は厚かましいとか、色々都道府県によってカラーはあるが、青森にいって感じた印象は暖かくて人懐っこいと感じた。1日目に訪問したわいどの木の村口さんに始まり、2日目の下風呂小学校の児童たち、大間高校の生徒たち、3日目の大石神社祭典の際に一緒に神輿をひっぱってくれた地域の子どもたちなど、みんなが同志社大学の私たちに興味を示してくれて、自分から喋りかけなくても気さくに話しかけてくれる素敵で素直な人たちだなと思った。大間高校でワールドカフェをした後に、たくさんの高校生が「一緒に写真を撮ってください」と声をかけてくれた時は本当にうれしかった。こんなに若い子たちに慕われることは今後一切ないと思った。そして、この青森の旅で出会った人たちの中で一番人の暖かさを感じたのが、さが旅館の隣にある新島襄も入ったと言われている温泉で出会ったおばあちゃんたちである。私たちが温泉に入るやいなや、「関西の学生さんか?」と話しかけてくれたのをきっかけに、私たちがなぜ風間浦村に来たのか、大学で何を勉強しているかなど色んなことを話した。また私たちが温泉のお湯が熱すぎて浸かることができず、困っていたら、温泉に水を足してくれて、入りやすい温度に調節してくれたりした。他にも、私たちが何も持たず温泉に来ているのを見て、「あんたら体洗うか?」と声をかけてくれて、体を洗うタオルやボディソープまで初めて会った私たちに貸してくれた。ものすごく親切だなと思った。温泉に来ているおばあちゃんたちがみんな友達で朝晩温泉で集まって井戸端会議ならぬ、温泉会議をしているのは素敵なことだなと思った。大阪では見ることのできない、風間浦村ならではの光景だと思った。大阪でも地域の人たちが気軽に集まれて、尚且つ癒される空間や施設があればもっといいコミュニティーになっていくと思う。
 青森にきて印象に残っていることが、上記にあげた人の温かさともう一つが、海鮮の美味しさである。あまり普段海鮮を食べないので、今回のフィールドワークツアーで初めて口にした貝や魚がたくさんあったが、どれもこれも新鮮で今もその味を忘れられない。殻に入ったままでまだ触ると動いているウニを食べたのも初めてだった。大阪のお寿司屋さんで食べるウニとは別格だった。3日間、海鮮三昧だったが全く飽きず美味しく食べることができたのはやはり新鮮でいいものを食べさせていただいていたからなのだと思う。青森のフィールドワークツアーから帰ってきて4ヵ月、風間浦村で食べた海鮮を超えるものに出会っていない。どうやら口が肥えてしまったようだ。私はまた風間浦村のあの温泉に行き、海鮮が食べたい。



Ⅳ 資料


新聞記事2つを添付する
新聞記事 [PDF 2.6MB]
新聞記事 [PDF 2.5MB]


役場挨拶

役場挨拶

大間高校交流

大間高校交流

大間高校交流

大間高校交流

大間高校交流

大間高校交流

下風呂小放課後子ども教室

下風呂小放課後子ども教室

新島襄寄航記念碑

新島襄寄航記念碑

大石神社大祭参加

大石神社大祭参加

易国間小交流

易国間小交流