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済州島(韓国)におけるゼミ交流討論会とフィールドワークの報告

板垣ゼミでは、例年、韓国の地方大学に行き、そこの学生(日本語を勉強している学生)との交流ゼミを実施してきました。あえて地方に行くのは、ソウルであれば誰でも簡単に行けること、地方大学だからこそ見えてくるもの(都市/地方の格差、大学生の学業と就職の事情など)があること、といった理由によります。今年ははじめて済州島(チェジュド)に行くことにしました。交流相手は、済州国際大学校国際学部の日本文化コンテンツ学科です。
9月19日(火)
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移動日です。板垣ゼミでは、学生の自主性に任せるため、例年「現地集合-現地解散」としています。今年は済州国際空港で集合し、済州の市内で解散しました。この日は、集合して、一緒に夕食をとるだけで、おだやかに終わりました。
9月20日(水)
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済州国際大は漢拏山(ハルラサン)の中腹に位置しています。バスで移動しました。
 済州国際大では、高漢權(コ・ハングォン)先生がホスト役をしてくださり、日本文化コンテンツ学科の先生方が総出で迎えてくださいました。手厚い受け入れに感謝します。
 合同ゼミは次のように進めました。まず済州国際大と同志社大の学生を合わせて3班に分けます。それぞれの班で、日本社会と韓国社会、どういうところが共通していて、どういう違いがあるのか、その共通性や違いは何に起因するのかを議論します。それぞれの班は1つのトピックに対応しています。今年のテーマは「衣食住」、「家族」、「大学生の文化と就職」でした。板垣ゼミにも韓国からの留学生がいるので、各テーブルには必ず両言語のできる学生を配置しましたが、済州国際大の学生がかなりがんばって日本語で話してくれたため、ほとんど議論は日本語で進行しました。昼食も班毎に食べに行きました。
 午後は発表のまとめの時間です。15分ぐらいをめどに議論の結果を報告してもらったうえで、質疑応答をしました。「衣食住」班は男性の眉、着物と韓服、マンション、冷蔵庫、サンドイッチ、大皿の食べ方など、「家族」班は葬式、お盆、敬語、名字、結婚式など、「大学生」班は就職で重視されること、採用のされ方、軍隊の存在、高校時代の違いなど、さまざまな面での比較を披露してくれました。どれも深めれば卒論にもなりそうな内容でした。
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夜は交流会です。1次会で終らず3次会まで楽しんだようです。
9月21日(木)
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済州島は、海あり山あり、おいしいものがたくさんあって、とても美しい島ですが、その一方で重い歴史ももっています。そのなかでも1948年4月3日を起点として起きた「済州4・3」(チェジュ・サーサム)は、日本からの脱植民地化と冷戦の深化がもたらした深刻な事件で、今もなおこの島に傷痕を残しています。バスを借りて、済州4・3の遺跡を1日かけて回りました。案内してくださったのは、4・3研究所の前所長・金昌厚(キム・チャンフ)さんでした。この事件の真相究明運動の第一人者として、分かりやすく、具体的に解説してくださいました。
 まず、済州4・3平和公園に行きました。済州4・3の犠牲者・行方不明者のための慰霊施設を見学し、記念館で事件の背景と展開、その後の状況などの歴史を概観しました。
 次に、ノブンスンイ4・3記念館に行きました。記念館の所在地である北村では、300人以上の村人が犠牲者となりました。この事件は、のちに玄基榮による小説『スニおばさん』となりました。
 昼食は済州の民衆料理で、豚肉からとったスープに海藻の入ったモムクッ(몸국)というものをいただきました。
 その後、西方向に移動し、「木綿ハルモニ」と呼ばれたチン・アヨンさんの暮らしていた家(今は記念館になっている)を訪問しました。見学後は、海岸で少し遊びました。
 重い歴史の現場をまわりながら、学生たちは「暴力の世紀」ともいえる20世紀が終わっていないことを感じ取ったのではないかと思います。
9月22日(金)
学生はそれぞれ帰路に就きました。今年から秋学期のはじまりが早まり、週明けには授業がはじまります。3年生の夏休みの最後を、それぞれ堪能したのではないかと思います。